山手線とは? 歴史や由来について

Poste date: 2022年10月31日

JR山手線は、東京の巨大な交通網を支える重要な鉄道路線で、都内の中心部を一周しながら、主要な交通機関を繋いでいます。山手線の内側とその沿線には官公庁やビジネス街、繁華街が集中しています。環状線のため路線図も分かりやすく、日本各地に繋がる路線との乗換え駅が多いことから、外国人観光客にとっても非常に便利な路線です。

また、利便性の面から 「山手線内側」は都心の一等地という印象を与え、高い資産価値を有しています。「山手線沿い」も賃貸物件売り物件を探す上で人気の立地であり、高級住宅地が多く存在します。 

この記事では、山手線の始まりや名前の由来などを詳しくご紹介します。

山手線とは

 

山手線は東京の主要都市を結ぶ環状線で、30の駅に停車し、全長約35kmを約60分かけて1周します。約3分〜5分間隔で頻繁に発車しているのも特徴です。環状線のため『行き先』ではなく、時計回りの方向を「外回り」、反時計回りの方向が「内回り」と表示されています。 品川駅を起点とすると、恵比寿や新宿方面へ向かうのが外回り、新橋や東京方面へ向かうのは内回りです。最終電車は品川駅、大崎駅、池袋駅のいずれかが終着駅となります。

なお、山手線は一般的には環状線として知られていますが、正確には3つの路線から成る集合体です。品川駅から新宿駅を経由して田畑駅までの区間を運行しているのが山手線であり、田端駅から東京駅までは東北本線、東京駅から品川駅までは東海道本線という3つから形成されているのです。

3つの路線から成り立つ背景にはその歴史が関係しています。

山手線の歴史

山手線の開業は1885年。品川駅から新宿を経由して赤羽駅を結ぶ鉄道として、当時は旅客線ではなく、地方に資材を運ぶための貨物輸送列車として運行していました。その後少しずつ路線が敷かれ、現在のような環状路線が形成されたのは1925年のことです。少しずつ路線を増やしたことこから、上述のような異なる路線が組み合わさる形となったのです。

> 江戸から現在まで - 東京の歴史

山手線の名前の由来

山手(山の手 / やまのて / やまて)とは、少し小高くなった地域を指す言葉で、東京都区部では西側のエリアも山の手と呼ばれています。山手線の開業当初、品川と赤羽間を運行していたことから、山の手のエリアを結ぶ路線としてその名がつけられました。ちなみに山の手の反対語は「下町」で、浅草や日本橋、人形町などがあります。

なお、横浜市中区にある丘陵地側の高台エリアも『山手(やまて)』と呼ばれており、多くの外国人が居住していました。他にも日本国内には山の手(山手)と名付けられたエリアが複数あります。

山手線は「やまてせん」と呼ばれていた時期がありましたが、現在は「やまのてせん」で正式に統一されています。