東京都心の高級住宅地 - 地図にない地名、城南五山等

Poste date: 2017年11月15日

東京には数多くの由緒ある高級住宅地が点在しています。

広尾麻布松濤赤坂青山、目白、田園調布等、プレステージアドレスと言われる山の手の高級住宅地。
その昔は武家屋敷であったところが多く、主に見晴らしのいい高台で、都心にありながらも喧騒を感じさせず、静かで空が広く見えます。
低層の高級マンションや一戸建てが広い敷地にゆったりと建ち並び、洗練された雰囲気を漂わせています。



ここでは地図上(住所、駅名)には存在せずに、マンション名等に残っている由緒ある地名の高級住宅地をご紹介させていただきます。

住所統合や町名変更等で、もはや住居表示では存在しませんが、昔から受け継がれている呼称。

江戸時代から、歴史的に守りやすく攻めにくい高台が身分や階級の高い武士の住む武家地となり、また大名が住んでいたのは高台のさらに敷地が広い場所でした。それが明治時代以降に、華族の屋敷をはじめ、大学や役所、大きな病院などの施設へと転用されてきました。こうして住環境として優れた高い場所に広い土地があり、由緒ある高級住宅街のエリアとして現在に至りました。

城南五山(池田山御殿山島津山花房山八ツ山)、仙石山城山赤坂氷川町麻布霞町麻布笄町三田綱町長者丸、諏訪山、浜田山等。。。 

いずれもマンション名にその地名が入っているだけで高級感がアップしたような響きになるブランド力のある地名です。

城南五山

城南五山(じょうなんござん)は、東京の城南地区にある高台5ヶ所の総称で、目黒駅から品川駅にかけての地域です。「池田山」、「御殿山」、「島津山」、「花房山」、「八つ山」の総称で、江戸時代からそれぞれ由緒ある大名屋敷や大名出身の邸宅があったことが命名の由来です。古くから高級住宅街として知られ、城南五山はブランドエリアとなっております。

池田山

現在の品川区東五反田4・5丁目付近の高台に相当するエリア。

名称は、備前岡山藩の池田家の下屋敷があったことに因む。 五反田駅周辺の喧噪から離れた閑静で落ち着いた低層エリア。 池田山には、同池田家下屋敷跡の奥庭部分を整備した和風庭園である池田山公園や皇后美智子さま生家跡地であるねむの木の庭といった公園が整備されている。

 

ねむの木の庭公園

ねむの木の庭公園

池田山 高級住宅街

池田山 高級住宅街

池田山公園

池田山公園

池田山に所在する高級マンション

御殿山

現在の品川区北品川3~6丁目付近の高台に相当するエリア。

昔は東京湾を見下ろすことのできた海沿いの高台であり、桜の名所としても有名であった。 江戸時代初期から徳川家康が建立したと伝えられ、歴代将軍家が鷹狩りの折に休んだ「品川御殿」があったことに因む。 明治期には富裕層の屋敷が多くあり、昭和期には戦後すぐにソニーがこの地区に移転し、ソニー創業の地として知られる。 ソニーは2007年港区に移転、本社跡地は売却され、商業施設のガーデンシティ品川御殿山、高級マンションのプライムメゾン御殿山に変わった。

御殿山ガーデン

御殿山ガーデン

御殿山トラストシティ

御殿山 高級住宅街

御殿山 高級住宅街

ガーデンシティ品川御殿山

島津山

現在の品川区東五反田1・3丁目付近の高台に相当するエリア。

江戸時代に仙台伊達藩の7万5000㎡におよぶ広大な下屋敷があった場所。 明治時代に旧鹿児島藩主島津公爵が購入し、私邸として英国風洋館を建設、多くの財界人の社交場として利用された。その後、戦前・戦後の財政難により所有権は日銀に移転。その後清泉女子大学が購入し、現在に至る。 旧島津公爵邸はルネッサンス様式の美しい洋館、現在も清泉女子大内に存在し、しながわ百景に指定されている。

清泉女子大学

清泉女子大学

島津山 坂道

島津山 高級住宅街

島津山 高級住宅街

雉子神社

花房山

現在の品川区上大崎3丁目の高台付近に相当するエリア。

江戸時代には大名屋敷があり、明治、大正期には高名な外交官であり、日本赤十字社の社長を歴任した花房子爵の別邸であった。 現在も高級マンションや邸宅が建ち並ぶ風格のある一帯。 JR山手線目黒駅に近く、タイやコロンビア大使館などがこの地に所在する。

花房山 高台入口

花房山 高台

花房山 高級住宅街

花房山 高級住宅街

花房山 高級住宅街

JR目黒駅

八ツ山

現在の港区高輪3-4丁目付近のエリア。

名称の由来は諸説あり、八つの岬があった説や八人の諸侯の屋敷があったという説など様々です。 江戸時代に目黒川の洪水復旧や埋め立て等に八ツ山の土が使われたことから、山が切り崩され、現在は平地となっている。 江戸時代に八ツ山にはかつて岩崎家の別邸で、現在は三菱グループの施設となっている開東閣がある。 現在は八ツ山通り(通称ソニー通り)、新八ツ山橋、八ツ山橋、東八ツ山公園等、通りや交差点、公園や店名にその地名が残っている。 城南五山の他のエリアは、ブランディング的な観点からマンション名にその呼称が使われているが、八ツ山に関しては住所の「高輪」の方が多く使われている。

開東閣

開東閣入口

開東閣周囲

八ツ山橋

八ツ山橋

新八ツ山橋

城南五山以外

 

仙石山

現在の港区六本木1丁目、虎ノ門5丁目付近の高台に相当するエリア。

江戸時代に但馬国(兵庫県)出石藩仙石家の屋敷、明治以降は華族仙石家、皇族東久邇宮家の邸宅があった場所。地盤の強固な高台で周囲には緑が多く、古い寺や大使館、ホテルが並ぶゆったりとしたエリア。 2012年に森ビルの再開発により、緑地を広く設けた職住近接の複合施設「アークヒルズ仙石山森タワー」が誕生した。

仙石山

アークヒルズ仙石山森タワー

アークヒルズ仙石山森タワー

城山

現在の港区虎ノ門4丁目付近のエリア。

江戸時代、神谷町駅周辺の一体は「西久保」と呼ばれていた。虎ノ門4丁目の高台には、その昔かつて豪族が城を構えていたことから、城山と呼ばれるようになったといわれている。その後江戸時代には土岐氏の藩邸等、武家屋敷が並ぶようになり、明治時代には「西久保城山町」という地名になる。現在は城山ガーデンと称される緑の多い広い敷地に城山トラストタワー、スウェーデン大使館がゆったりと建っている。

城山ガーデン

城山トラストタワー

城山ガーデン 遊歩道

城山に所在する高級マンション

赤坂氷川町

現在の港区赤坂6丁目付近の高台に相当するエリア。

昭和41年まで存在した地名、赤坂氷川神社が近くにある事に由来する。 赤坂氷川神社は天歴5年(951年)創立、スサノオノミコトを祀る由緒ある神社。 江戸時代の前期、氷川公園付近には忠臣蔵で有名な浅野内匠頭の屋敷があり、明治初期には、現在「港区立赤坂子ども中高生プラザ」が建つ場所に勝海舟が晩年を過ごした邸宅があった。 江戸時代から大名屋敷が連なる由緒ある地名 - 現在でもこの地に建つ多くのマンションが赤坂氷川町という名を引き継いでいる。

赤坂氷川神社

赤坂氷川神社

氷川公園

港区立赤坂子ども中高生プラザ

赤坂氷川町 高級住宅街

赤坂氷川町 高級住宅街

麻布霞町

現在の西麻布交差点から東側、西麻布1丁目全域と西麻布3丁目、六本木6-7丁目の一部に相当するエリア。

明治5年から昭和42年まで使われていた地名。西麻布3丁目にある櫻田神社はかつて霞山神社と称されており、霞町の地名はこれに因む。江戸時代には阿部播磨守下屋敷の広大な下屋敷があった場所。明治時代後期には、現在億ションとして名高い「麻布霞町パークマンション」が建つあたりに三井家の広大な敷地があり、三井家の子弟教育のための寄宿舎が存在したという。大正時代には霞町に市電が通っていた。現在も麻布霞町教会はじめ、多くの飲食店や施設が霞町の名称を使っている。大通りから奥に入ったところは、閑静な高級住宅地が広がる。

 

六本木通り

西麻布交差点、権八

霞町 高級住宅街

麻布霞町パークマンション

霞町 高級住宅街 牛坂

霞町 高級住宅街

麻布笄町

現在の港区南青山6-7丁目、西麻布2-4丁目(一部)に相当するエリア。

江戸時代から昭和42年まで使われていた町名。このエリアを流れる笄川にかかっていた橋、笄橋に因む。(笄川は現在は地中に埋設されており、一部天現寺橋付近でわずかに地上に顔を出している)。江戸時代には武家屋敷が並んだ一帯。現在は外苑西通りの付近のお洒落なスポットになっている。通りから奥まったところは高級住宅が建ち並ぶ。笄町の地名は、区立笄公園、笄小学校、一部のマンションにその名が残っている。

区立笄公園

港区立笄小学校

外苑西通り

西麻布交差点

笄町 高級住宅街

笄町 高級住宅街

 

三田綱町

現在の港区三田2丁目の高台に相当するエリア。

三田綱町とは、明治5年~1967年まで使われていた地名。江戸時代には広い庭園を有するお屋敷が並んだ地であった。島津氏の日向佐土原藩の屋敷跡と保科家の会津藩屋敷跡の約6,000坪の敷地に、三井家が当主が三井財閥の接待用の迎賓館として「綱町三井クラブ」を建築。以後現在も三井グループ関係者の倶楽部として利用されている。現在イタリア大使館が建つ場所はかつて伊予松山藩の中屋敷であり、赤穂浪士が切腹した地としても有名である。イタリア大使館の庭園は江戸時代からの日本庭園の形をとどめている風光明媚な庭園。 このあたりは緑が多く、高級マンションがゆったりと並ぶ静かな環境である。

 

綱町三井クラブ

オーストラリア大使館

イタリア大使館

三田綱町 高級住宅街

三田綱町 高級住宅街

綱坂

長者丸

現在の品川区上大崎2丁目、目黒区三田1丁目の一部に相当するエリア。

室町時代にこの地に移り住んだ豪族が白金長者と呼ばれていたことに由来する。 その後武家屋敷を経て、昭和初期に呉服商として成功を収めた吉田彌一郎氏により住宅地として開発された。 戦前は多くの高級官僚や政治家、有名企業社長達が居を構えた地であった。 現在は恵比寿ガーデンプレイスと自然教育園の間から目黒駅付近にかけて、低層の高級住宅街が広がっている。 山手線沿いで恵比寿ガーデンプレイスに隣接した利便性の高い場所。 多くの高級マンションが「長者丸」の名前をマンション名に使用している。

長者丸 高級住宅街

長者丸 高級住宅街

長者丸 高級住宅街

恵比寿ガーデンプレイス

恵比寿ガーデンプレイス

JR目黒駅付近