城南五山とは? - 由緒ある高台の住宅地
城南五山(じょうなんござん)は、東京の城南地区にある高台5ヶ所の総称で、目黒駅から品川駅にかけての地域です。 池田山、御殿山、島津山、花房山、八つ山 の総称で、江戸時代からそれぞれ由緒ある大名屋敷や大名出身の邸宅があったことが命名の由来です。古くから高級住宅街として知られ、城南五山はブランドエリアとなっております。
どのエリアにも山手線の内側に所在し、便利な場所にあります。一歩住宅街に入ると駅周辺の喧噪とはガラっと変わって落ち着いた住宅街が広がります。昔からハイクラスな政治家や著名人が居を構えただけあって、高級感が漂う雰囲気です。建物も広い敷地にゆったりと建つ低層の高級マンションや立派な門構えの一戸建て住宅が多く見られます。
このエリアの高級賃貸マンションや分譲のブランドマンションは、〇〇山グランドマンション、△△山パークレジデンスなど、住所ではなく城南五山の地名がマンション名に使われています。
城南五山 地図
池田山
現在の品川区東五反田4・5丁目付近の高台に相当するエリア。
名称は、備前岡山藩の池田家の下屋敷があったことに因む。 五反田駅周辺の喧噪から離れた閑静で落ち着いた低層エリア。 池田山には、同池田家下屋敷跡の奥庭部分を整備した和風庭園である池田山公園や皇后美智子さま生家跡地であるねむの木の庭といった公園が整備されている。
ねむの木の庭公園
ねむの木の庭公園
池田山 高級住宅街
御殿山
現在の品川区北品川3~6丁目付近の高台に相当するエリア。
昔は東京湾を見下ろすことのできた海沿いの高台であり、桜の名所としても有名であった。 江戸時代初期から徳川家康が建立したと伝えられ、歴代将軍家が鷹狩りの折に休んだ「品川御殿」があったことに因む。 明治期には富裕層の屋敷が多くあり、昭和期には戦後すぐにソニーがこの地区に移転し、ソニー創業の地として知られる。 ソニーは2007年港区に移転、本社跡地は売却され、商業施設のガーデンシティ品川御殿山、高級マンションのプライムメゾン御殿山に変わった。
御殿山ガーデン
御殿山ガーデン
御殿山トラストシティ
御殿山 高級住宅街
御殿山 高級住宅街
ガーデンシティ品川御殿山
御殿山に所在する高級マンション
島津山
現在の品川区東五反田1・3丁目付近の高台に相当するエリア。
江戸時代に仙台伊達藩の7万5000㎡におよぶ広大な下屋敷があった場所。 明治時代に旧鹿児島藩主島津公爵が購入し、私邸として英国風洋館を建設、多くの財界人の社交場として利用された。その後、戦前・戦後の財政難により所有権は日銀に移転。その後清泉女子大学が購入し、現在に至る。 旧島津公爵邸はルネッサンス様式の美しい洋館、現在も清泉女子大内に存在し、しながわ百景に指定されている。
清泉女子大学
清泉女子大学
島津山 坂道
島津山 高級住宅街
島津山 高級住宅街
雉子神社
島津山に所在する高級マンション
花房山
現在の品川区上大崎3丁目の高台付近に相当するエリア。
江戸時代には大名屋敷があり、明治、大正期には高名な外交官であり、日本赤十字社の社長を歴任した花房子爵の別邸であった。 現在も高級マンションや邸宅が建ち並ぶ風格のある一帯。 JR山手線目黒駅に近く、タイやコロンビア大使館などがこの地に所在する。
花房山 高台入口
花房山 高台
花房山 高級住宅街
花房山 高級住宅街
花房山 高級住宅街
JR目黒駅
花房山に所在する高級マンション
八ツ山
現在の港区高輪3-4丁目付近のエリア。
名称の由来は諸説あり、八つの岬があった説や八人の諸侯の屋敷があったという説など様々です。 江戸時代に目黒川の洪水復旧や埋め立て等に八ツ山の土が使われたことから、山が切り崩され、現在は平地となっている。 江戸時代に八ツ山にはかつて岩崎家の別邸で、現在は三菱グループの施設となっている開東閣がある。 現在は八ツ山通り(通称ソニー通り)、新八ツ山橋、八ツ山橋、東八ツ山公園等、通りや交差点、公園や店名にその地名が残っている。 城南五山の他のエリアは、ブランディング的な観点からマンション名にその呼称が使われているが、八ツ山に関しては住所の「高輪」の方が多く使われている。
開東閣
開東閣入口
開東閣周囲
八ツ山橋
八ツ山橋
新八ツ山橋
麻布、広尾、赤坂、青山、松濤、田園調布等、城南五山以外の東京の高級住宅街についてはこちらをご覧下さい。
>> 東京の高級住宅街 憧れのブランドエリア